元祖・麻婆豆腐の今と昔を比べよう!『赤坂 四川飯店』

麻婆豆腐を日本へ本格的に紹介したのが、『赤坂 四川飯店』の創業者・陳 建民氏。陳氏は麻婆豆腐を日本人向けに独自にアレンジ。辛さを抑え、山椒は一切使わない麻婆豆腐を作り上げました。

時代を超えて愛される看板メニューはどのように変化してきたのでしょうか?この記事では1996年に旭屋出版から刊行された「名店の看板メニュー」を見ながら、当時の麻婆豆腐と現在の麻婆豆腐を比べてご紹介。

『四川飯店』の麻婆豆腐の歴史

店内はモダンな雰囲気

もはや中国料理と知らない人もいるほど、日本人に馴じんだ麻婆豆腐。最初に日本に広めたのは、『赤坂 四川飯店』の初代・陳 建民氏。昭和30年代当時、味の決め手となる四川省産の豆板醤の入手は難しく、陳氏は日本産の豆板醤を使用しました。その麻婆豆腐は日本人の舌に合うように辛さ控えめでマイルドな味わいにアレンジしたことも功を奏し、看板商品として大人気に。

「名店の看板メニュー」では当時の人気店の看板商品をたくさん並べていました

そんな麻婆豆腐をフードマニアを運営する旭屋出版が刊行する「近代食堂」でもご紹介。その中で「名店の看板メニューと思想」というコーナーでは、当時の人気店の看板メニューを取材し、連載していました。こちらの「名店の看板メニュー」という本はその連載を1冊にまとめたもの。今回はこちらに掲載された1996年版の麻婆豆腐と現在の麻婆豆腐を比べてみましょう。

過去と現在の麻婆豆腐と比較してみよう!

これぞ麻婆豆腐といったビジュアル!

それでは、1996年版の麻婆豆腐から見てみましょう。当時の日本では中国の調味料の入手が難しかったこと、また日本人の舌が淡白な味つけの和食に慣れており、本場四川の熱くて痺れるような辛さが受け入れられにくいと考えたことから、陳氏は麻婆豆腐を日本人向けにアレンジ。

またどうしても入手できなかった四川省産の郫ピーシェン県豆板醤に代わり、熟成が浅いものの日本産の豆板醤を探し出し、豆鼓などで旨みを補いつつ味のバランスを調整。いまからするとマイルドながら、当時の日本人にはほどよい辛さ。複雑な旨味と相まってクセになるとたちまち人気となりました。

写真手前が初代の味を再現した「建民麻婆」、奥が現在提供している「陳麻婆豆腐」

次に現在の麻婆豆腐を見てましょう。建民氏は1990年に亡くなった後、『赤坂 四川飯店』は二代目の陳 建一氏に引き継がれます。建一氏は、輸入会社の協力を得て、先代からの悲願だった四川省産の郫県(ピーシェン)豆板醤の入手についに成功!

また時代の変化に伴い本場の味を求める日本人が増えてきたこともあり、1990年代後半頃より四川省産の郫県(ピーシェン)豆板醤に四川省産の山椒・花椒を加えた、さらに本場寄りの麻婆豆腐の提供を開始。辛くて痺れる、パンチのある味わいの新たな麻婆豆腐は新たなるブームに。

初代の味を再現した麻婆豆腐は「建民麻婆」という通称で裏メニューとして用意

一方、初代の味は「建民麻婆」という通称でいまは裏メニューとして用意。日本産の豆板醤と豆鼓で味を決め、唐辛子や山椒は使わない昔ながらの味で、「やはりこの味でないと」という馴じみの常連客からいまも支持されています。

『四川飯店』の麻婆豆腐は時代とともに進化する看板メニュー

いかがでしたでしょうか?今でも愛される看板メニュー、麻婆豆腐は昔と変わらない味を残しつつも、時代とともに進化する新しい味に進化。過去と現在をミックスして楽しむというのもまたおすすめですよ!

赤坂 四川飯店

住所 東京都千代田区平河町2-5-5 全国旅館会館5・6F
営業時間 11:30〜15:00(LO 14:00) 17:00〜22:00(LO 21:00)
定休日 毎週月曜日・年末年始(12/28~1/4)
 

「近代食堂20192月号」に掲載した内容を再編集しています。記載のデータは取材時のものです。