刺身の歴史とそのルーツは?すしマニアが詳しく解説
刺身と言えば、マグロや鯛など、すしと並ぶ人気メニューです。普段何気なく食べている刺身ですが、その歴史は意外と知らないという人も多いかもしれません。
ここではすしに関する本を多く出版してきたすしマニア編集部がについて刺身の歴史について解説していきます。すしに詳しくなりたい人におすすめ!
— 目次 —
刺身は、昔は「刺身」と書くことはなかった
庖丁で魚の身を切るのに「刺身」。なぜこんな名前になったのか、こういう説があります。
その昔は、切るという言葉を忌み言葉扱いにしていたから、切るの代わりに刺すを使ったという説。また、海の魚は身の左側を上にして盛るから左身、これが刺身に変化したという説など諸説があります。
一方、同じ刺身でも「指身」や「さし味」、「差味」と別の表記があったり、刺身という言葉から離れて「魚軒」や「うちみ」、「打身」という言葉も使われていました。
江戸時代のマグロは高級品ではなかった
江戸時代には差身屋という商売もありました。江戸時代後期に出版された『守貞縵稿』で紹介されています。この商売はカツオとマグロの刺身だけを売っていて、様々なところに店があったようです。
さらにこの本には、マグロなどの刺身は「下卑ノ食」で、中級以上の饗宴には用いられなかったとされます。しかし、下卑ノ食でも美味しいものは美味しいのです。それを知っている庶民には親しまれていました。
醤油で食べるようになったのは江戸時代から
刺身は、初めから醤油で食べていたわけではありません。長く酢塩が調味料でした。それがいつしか、鯉にはわさび酢、鯛には生姜酢、カツオには蓼酢や辛子酢など、魚の味の特徴に合った調味料が選ばれるようになりました。醤油が使われ始めたのは江戸時代後期で、文化・文政(1804〜30年)の頃。醤油が使われ始めてから現在のような味が楽しめるように。
平安時代、「カツオ」は堅い魚とされていた
カツオは、鰹と書きます。ではなぜ、魚偏に「堅い」なのでしょうか?実は平安時代、カツオを生で食べるのは海辺だけで、多くは煮たあとに干して都へ送られていました。干せば堅くなるので、堅魚と書き「カタウヲ」と呼んでいたのです。
それが時代を経て、偏とつくりを合わせて鰹、発音もカタウヲが変化して「カツオ」へ。文字通りの堅い魚だったのです。
カツオといえば「カツオのたたき」。江戸時代はどのように食べられていたのでしょうか。江戸時代前期に出た料理書『料理物語』(1643年)で紹介された「小川だたき」という料理は、今はすっかり廃れた「幻のたたき」です。同書にこのような記載があります。
生がつほをおろしよくたたき 杉いたにつけ にえ湯をかけしらめてつくりたたみ候
つまり、たたいて杉板に擦り付け、お湯をかける。これではカツオの風味はお湯で流されて美味くないそう。廃れた理由はここにありそうですね。
刺身は歴史を噛み締めながら楽しもう
すし同様刺身にも長い歴史があります。そして、そのパートナーといえば醤油。全国各地、その土地の味覚嗜好に合った様々な醤油があります。現在の刺身は醤油がなければ美味しさは半減するでしょう。こだわりの醤油と合わせて楽しんでみてくださいね。
※画像はイメージです
※「食の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています
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