日本の天ぷらの歴史とは?その由来をフードマニア編集部が解説
和食の代表格とも言われるくらい、私たちの食文化と密接に結びついている天ぷら。ですがこの天ぷら、実は全国で気軽に楽しめるようになったのは、昭和の後期になってからなのです。
ここでは和食に関する本を出版しているフードマニア編集部が、天ぷらの歴史を解説していきます。
— 目次 —
天ぷらの原型はポルトガル生まれ!?室町時代に日本へ伝来
日本における天ぷらのルーツは諸説ありますが、安土桃山時代、ポルトガルから伝来した長崎天ぷらが原型というのが定説です。
また、天ぷらの調理方法が伝わったのは、それより少し前の室町時代。鉄砲とともにポルトガルから伝来しました。そのため、一般的には天ぷらの語源はポルトガル語からきているとされています。
江戸初期、日本で初めて天ぷらが販売!中期には天ぷらの屋台が立ち並ぶ
油が流通し、庶民の間でも揚げ物が楽しまれていた江戸時代初期。1616年頃には、安く仕入れた魚をゴマ油で衣上げにし、立ち食い形式で提供する屋台も登場。ただ、当時は天ぷらではなく「ゴマ揚げ」という名前で販売されていました。
江戸時代中期(安永年間)に入ると、「ゴマ揚げ」は次第に天ぷらと呼ばれるようになります。また、同時期には江戸じゅうに天ぷら屋台が常設。この頃には、今のように天ぷら衣を水で溶くようになっていたため、現代とほとんど変わらない味だったとされています。
さらに、天ぷらに天つゆをつけだしたのもこの頃。この頃の天ぷらは、串カツのように串にささった状態で販売されていました。お客は好きな串に天つゆや大根おろしをつけ、軽食感覚で味わっていたとか。さらに時代が進むと串から外すようになり、現代の天ぷらとほぼ同様の食べ方が確立しました。
江戸時代後期には、貴族に向けて高級天ぷらも登場。当時は貴重だった鶏卵を用いた「金ぷら」や、白身を使って揚げられた「銀ぷら」などが人気を博し、「大名天ぷら」と呼ばれ親しまれていました。
関東大震災以降、天ぷらは全国へ普及。戦後には家庭料理のとしての地位を築く
明治時代以降も大人気の天ぷらでしたが、1923年に起きた関東大震災により都内は壊滅状態に。多くの人が職を失い、地方に里帰りします。その後、地方に持ちこまれた天ぷらが各家庭で再現されたことで天ぷらが全国に普及。人々の心をわしづかみにしました。
全国に広がった天ぷらでしたが、昭和初期には油が高かったこともあり高級料理として扱われていました。さらに、戦時中の物資不足などによりしばらく天ぷらが楽しめない時代が続きます。
天ぷらが手軽な料理になったのは、戦後になってから。高度経済成長期頃には油の製造量も増え、家庭でも気軽に天ぷらが楽しめるようになっていきました。また、スーパーの総菜売り場などに登場するようになったのもちょうどこの頃。さらに1989年以降にはオートフライヤーなどの調理器具も発達し、専門店以外でもおいしい天ぷらが楽しめるようになったのです。
江戸初期から親しまれてきた天ぷらは、大正に全国へ普及。昭和後期には全国で楽しめる料理に
古くは安土桃山時代から存在していた天ぷら。江戸時代になり、油が身近になってから急激に進化を遂げ、身分を問わず広く愛される料理になりました。
その後、関東大震災の影響で全国に広まっていった天ぷらでしたが、手軽に楽しめる料理になったのは昭和後期になってから。和食の代表としてのイメージが強い天ぷらですが、実は日本で生まれた料理ではなく、全国で気軽に食べられるようになるまで長い年月がかかっていたのです。
※画像はイメージです
※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています
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