江戸前ずしとは?今のすしとはどう違うのかすしマニアが解説
江戸前ずしというと一般的には握りすしのイメージですが、どういったものなのでしょうか?実は江戸時代のすしとは別物なんです。
ここではすしに関する本を多く出版してきたすしマニア編集部が江戸前ずしについて解説していきます。すしに詳しくなりたい人におすすめ!
握りずしのルーツは江戸前ずし
「江戸前」とはどういうものなのかについてご説明しましょう。 そもそも江戸前という言葉を最初に使ったのは鰻屋でした。
豊臣秀吉によって駿河から江戸へ転封された徳川家康は、すぐさま江戸の街づくりに取り組みました。その一つが江戸城の前の浅い海を埋め立てて土地を造成することでした。これにより、現在の宮城前、馬場先門の辺りが沼に変わりました。この沼では鰻がたくさん獲れたのです。
この鰻を土木工事に従事する人夫たちの昼飯の総菜用にしようと、目をつけた人物がいました。獲った鰻をブツ切りにして竹串に刺し、味噌をつけて焼いて売り、大儲け。鰻の串刺しが蒲の穂に似ていることから、これを「蒲焼」と呼び、その鰻が獲れるのが江戸(城)前であることから、「江戸前」となりました。
そうこうしているうちに、江戸前は範囲を広げ、江戸の前の海で獲れる魚介類全てが江戸前と呼ばれることになったのですが、握りずしの人気が高まるとともに、江戸前の呼称はもっぱら握りずしに使われるように。
「江戸前ずし」は今のすしとは別物
握った酢飯の上に魚介類の切り身を載せて、よく握り合わせる。これは握りずしと同じですが、誕生したの頃の握りずしと、今われわれが食べている握りずしとは、かなり大きな違いがあるんですよ。
・違いその1
すし飯に具が混ぜてありました。これは味を補う目的があり、例えば、甘辛く煮た椎茸を細かく刻んだものや海苔を加えたり、いろいろな白身魚のすり身から作ったオボロ(そぼろ)を載せたりといった具合。
・違いその2
すしそのものが大きいという点。今の感覚では驚くほどの大きさで、現代女性なら三ロでやっと食べられるサイズ。当時の大人の男でもひと口半といわれていました。それだけすし飯の量が多く、4カン食べれば満腹だったといわれます。
・違いその3
種類が少ない。現在のすし店では20種類以上の魚介が揃っていますが、江戸前では魚介の種類が限られ、一桁以下だったといわれるから驚きですね。
当時の江戸前ずしは生のまま食べることはほぼなかった!
江戸時代は冷蔵や冷凍という保存技術がなかった時代なので、保存の手段が取られていました。よって、生のまま使うことはほとんどなく、魚介には塩をきかせたり、酢漬けにしたり、「ヅケ」と呼ぶ醤油漬けにしたり、といろいろと工夫がこらしてありました。
今とは全く違う江戸前ずしですが、これが発展して今の握りずしになったのです。
※画像はイメージです
※「食の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています
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