唐菓子とは?その歴史をお菓子マニアが解説
『源氏物語』でも登場する唐菓子。実は和菓子の元祖的な存在なのですが、どのようなものだったのでしょうか?
ここでは和菓子に関する本を多く出版してきたお菓子マニア編集部が唐菓子の歴史について解説していきます。和菓子に詳しくなりたい人におすすめ!
唐菓子とは中国から伝わった菓子のこと
菓子は元々「果子」と呼ばれており、果子から菓子になるまでの間に「木菓子」と呼ばれた時期もありました。奈良・平安の時代、木の実、 草の実など果物のことをこう呼んでいました。
そうした中で、中国から仏教文化とともに7〜8世紀にかけて伝わった菓子がありました。 遣唐使が持ち帰った大陸伝来の菓子は、元々の木菓子と区別して「唐菓子」と呼ばれました。
平安時代の書物『和名類聚抄』には8種類の唐菓子の名前が記されています が、その他にも様々な種類があり、それらは紫式部の『源氏物語』や清少納言の『枕草子』などの文学作品の中でも紹介されています。
『源氏物語』の中では、「粉熟」という唐菓子が登場しますが、これは米粉などをこねて茹でて、甘葛をかけてこね合わせたものを、竹の筒に入れて、しばらくしてから突き出して切ったもの。 このように、唐菓子の多くは米粉や小麦粉をこねて形を作り、油で揚げるか炒めるか茹でるかしたものでした。これらの菓子のほとんどは、宮中で用いられ、一般庶民の口には入らないものでしたが、一部は町の市でも売られていました。
唐菓子は歴史の深い菓子
当時はとても高価でめったに食べられないものでしたが、現代では手軽に食べられるよう。ちなみに、こうした唐菓子の一部は、現在でも京都の上賀茂神社や下鴨神社などで神饌(しんせん、神に捧げる供物のこと)として用いられています。
※画像はイメージです
※「食の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています
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