紅茶の歴史とは?その発祥をカフェマニアが解説

今や世界中で飲まれている紅茶は誰でも楽しめる嗜好品。ところで人類はいつから紅茶を楽しむようになったのでしょうか?

ここではカフェや紅茶に関する本を多く出版してきたカフェマニア編集部が紅茶の歴史や発祥について解説。紅茶について詳しくなりたい人におすすめ!

喫茶の風習は中国で始まった!

画像素材:写真AC

紅茶、緑茶、ウーロン茶など、お茶には色々な種類がありますが、それぞれの木があるわけではありません。どれも同じ茶の木の葉が原料です。茶の原産地は、中国大陸の西南の四川地方や雲南地方、あるいはインドのアッサム地方といわれます。

茶は、中国では有史以前から薬として飲まれていたといわれ、伝説の神「神農」の沸かした湯に茶葉が偶然に落ちたのが、始まりだとも伝えられています。

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喫茶の風習は、はじめ四川地方で普及し、やがて揚子江沿いの茶の木の栽培に適した江南地方に広がったとみられています。4世紀の中頃には、中国の東南部、揚子江の流域地帯、江南地方ですでに栽培が行なわれており、歴史の深い飲み物と言えるでしょう。

唐の時代に入り、西暦780年に陸羽という人が茶経という本を著します。これは当時のオール・アバウト・チャというべき、茶と喫茶についての世界最初の著作でした。陸羽はそれを集大成した人で茶の神様といわれています。

茶はやがて中国から世界へ伝播していく

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茶は、中国から陸路と海路を経て世界に広まっていきます。陸路で広まったものは「チャ」と呼ばれ、海路によった方は「テ」と呼ばれるように。陸路の方は広東語のチャが、海路の方は当時の貿易港アモイ地方の方言、テが伝わったと考えられます。その結果、インド、イラン、トルコ、ロシアではチャとかチャイと呼ばれ、イギリス、オランダなどではティー、テーと呼ばれるようになりました。

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ヨーロッパへ最初に茶がもちこまれたのは1610年で、オランダ東インド会社の船が日本の平戸とジャワのバンタムからアムステルダムに運びました。この茶は緑茶で、紅茶ではありません。

当時オランダは世界一の貿易国で、東洋の茶はオランダからヨーロッパの各国に紹介され ます。その頃オランダでの紅茶の飲み方は、カップの紅茶を受け皿にあけ、ズズッと音をたて皿からすするという風変わりなものだったようです。

英国紅茶が始まったのは17世紀

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イギリスに喫茶の風習が広がるきっかけを作ったのは1661年にポルトガルからイギリス国王チャールズ2世に嫁いできたキャサリン王妃です。マカオに貿易拠点を持つポルトガルでは宮廷でお茶を楽しむ風習があったようで、王妃はかなりのお茶好きでした。

彼女は嫁入りの際に、中国茶とともに銀に等しいほど高価だった砂糖を大量に持参。上流階級の人々がこのエキゾチックな飲み物に強い羨望を抱き、その後ほぼ百年の間に喫茶の風習がイギリスの宮廷や上流階級に広まっていきました。お茶をいれるのに相応しい道具類やその扱い方が重視されたことはいうまでもありません。

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18世紀に入りお茶好きのアン女王が即位。特製の銀の茶道具を用いて、お茶会をしばしば催したようですが、こうしたスタイルを貴婦人達が模倣し、英国流紅茶文化の基礎が作られていきました。

紅茶が歴史を動かした?

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18世紀から19世紀にかけてイギリスは世界の茶の市場を制しますが、その間のいきさつを簡単に追ってみると、イギリスの東インド会社は1669年に中国茶の直接的な輸入を開始しますが、この頃飲まれていたのはウーロン茶と緑茶でした。1720年に茶の関税が引き下げられて、茶の需要が増し、イギリスは輸入権を独占するまでになります。とはいっても茶は高価なものですから密貿易が現れ、その結果、18世紀中頃になるとイギリスは財政的に苦しい状態に陥ります。

1773年、紅茶への関税を巡ってイギリスとアメリカとが争い、ボストン茶会事件がおこります。大量の茶葉が海に投げ捨てられ、釣った魚まで紅茶の味がしたといわれます。これがきっかけでアメリカの独立という大変動となりました。

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また、英国の歴史上、最大の汚点となったアヘン戦争も、その原因は中国紅茶の輸入代金の銀ですから、紅茶がいかに世界の歴史で重大な役割をはたしたかがあらためてわかります。

アヘン戦争以前の1833年、イギリス東インド会社の茶の独占輸入権は廃止され、茶の輸入が自由化されます。一刻も早く茶を運搬するために、ティークリッパーと呼ばれた帆船が次々と造られ、新茶の時期には速さを競う華々しいティーレースが展開されました。

19世紀にインドで紅茶づくりが始まる

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18世紀後半からイギリスは中国との交易に頼らずにすむよう、自国領地内での紅茶の製造を考えるようになります。

1832年、イギリスの植物学者ブルース大佐がインドのアッサム地方で野生の茶の木を発見。イギリスはインドのアッサムを初めとして、インド各地、そしてセイロン(現スリランカ)など、紅茶栽培に適した地に次々と茶園を作ります。こうした地の紅茶は大量生産で、安価で、しかも色も香りも申し分のないもので、結果、中国紅茶は必要とされなくなります。同時に、イギリスは紅茶市場の鍵を握るようになり、紅茶文化はさらに円熟度を増すこととなります。

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ところで、お茶を紅茶の状態で飲むようになった時期は、あまり明確ではありません。中国で紅茶が作られるようになったのが、唐の次の時代の宋からで、輸出用にはウーロン茶と紅茶が増えていきました。これはヨーロッパで紅茶が好まれるようになったから。特にイギリスで18世紀以降、紅茶が全盛期となり、中国からの輸出茶から緑茶は姿を消したようです。

日本へ紅茶が伝わったのは明治時代

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日本への茶の伝来は、奈良・平安の時代で、仏教を伝えた僧侶が喫茶の風習とともにもたらしました。もちろん、当時は緑茶。栽培も行なわれるようになると鎌倉時代には武士階級に広まり、次第に日本独自の喫茶文化が作られていきました。鎖国という政策もあり、日本人が紅茶に接するようになるのは、コーヒーと同じく明治時代に入ってからです。

日本人で初めて本格的な紅茶を飲んだのはロシアに漂流した大黒屋光太夫と考えられています。1782年、伊勢から江戸に向かった商船が遭難し、ロシアで約10年を過ごします。そのときの見聞をまとめた『北槎聞略』に

「茶は支那とトレッコイから来る。銀の壺に、のみ口をつけた器に熱湯をさし抱茶にして飲む。是にも砂糖と牛乳を入れる。(中略)茶の値段は百匁で銀一枚から五枚もする。」

という記述があります。

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明治政府は紅茶が飲料として日本にもたらされるより以前の明治7年(1875)に欧米の紅茶ブームに目をつけ、国の政策として紅茶の生産を始め、輸出を計画します。中国から技術者を呼んだり、技術者をインドに派遣して製造技術を学びました。しかし気候風土が合わなかったのか、競争力のある紅茶が生産できず、輸出産業としては成り立ちませんでした。

日本で、紅茶が一般に市販されたのはイギリスから輸入されたリプトン紅茶で明治39年(1906)のことでした。紅茶は西洋からきたハイカラな飲み物として受け止められ、海外生活の経験のある愛好家には喜ばれたようです。

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国産銘柄の紅茶が誕生するのは、1927年(昭和3年)で、三井紅茶(現在の日東紅茶)が、国産の第一号として販売されます。第二次世界大戦によって一時紅茶の輸入が絶たれますが、1950年(昭和25年)頃には輸入が再開され、日東、ヒノマル、森永、明治など、日本人の嗜好に合わせた日本ブランドの製品が販売されました。

今は日本で世界中の紅茶が飲める時代!

外国製銘柄の紅茶の輸入が完全に自由化されたのは、1971年(昭和46年)と意外と最近のことです。その後、紅茶は高級感のあるギフト品として重宝されますが、飲み方としては、ポットでいれるよりも、簡単なティーバッグの方がやや優勢。

現在、日本ではイギリスを初め、フランス、インドなど、いろんな国やメーカーの紅茶が輸入され、多様性という点では、他国に類をみない楽しみ方ができるのです。

※画像はイメージです
※「THE BOOK OF TEA」に掲載した内容を再編集しています