弁当の歴史とは?その由来をフードマニア編集部が解説

子どものころだけでなく、大人になってからも馴染み深い弁当。今やコンビニやスーパーなどでも様々な種類が販売されていて、どれを買おうか迷ってしまうこともあるのではないでしょうか。

そんな弁当ですが、実はとても長い歴史を誇る文化で、古くは平安時代から存在していたという説も!ここではさまざまなジャンルでグルメに関する本を出版しているフードマニア編集部が、弁当の歴史や由来を解説していきます。

安土桃山以前は「弁当」という呼び名ではなかった!古くは伊勢物語にも登場

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弁当のように、携帯食を持ち運んで住居以外の場所で食べるという食事形式は、古くは『古事記』や『日本書紀』といった歴史書から登場していました。さらに、平安時代に書かれた『伊勢物語』でも「遠く離れた故郷に思いを寄せ、涙で糒(ほしいい/雑穀を蒸した後に乾燥させた携帯食)がふやけてしまった」という歌が読まれており、はるか昔から文化として成立していたことがわかります。

携帯食が「弁当」と呼ばれだした経緯は諸説あります。一説によると、もともとは「行厨(こうちゅう)」と呼ばれていましたが、安土桃山時代に中国から「辨當(ベントウ)」や「弁当」という言葉が入ってきたことで呼び名が一転。「弁(そな)えて用に当てる」という意味から「弁当」と呼ばれるようになったとされています。

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また別の説によると、織田信長の家臣が食事をとった際、料理を簡単な器に取り分けて配膳したことから「配当を弁ずる」、「当座を弁ずる」から転じて「弁当」と呼ぶようになったのではないかという考察も。いずれの説にしろ、江戸時代初期に編集された『日萄辞典』にて「弁当」という単語が掲載されていることから、弁当という呼び名になったのはそれ以前とするのが一般的とされています。

江戸時代に弁当の文化が確立。後期には幕の内弁当も台頭

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江戸時代に入ると食への関心が高まり、一日三食をとる人が増えていきました。それに伴い野外での活動中でも食べられる弁当という食事形式がより文化として確立していきます。中でも諸大名や公家といった富裕層の間では、各々の権力や地位の象徴として贅を尽くした「遊山弁当」という弁当を持ち、屋外にて宴を開く風習が広がりました。

庶民の間で弁当が一般的になったのは、およそ江戸時代の中期から後期にかけてだとされています。このころには庶民の間でも一日三食が基本となっており、昼食を食べに自宅に戻る時間が惜しいという理由から弁当という文化が定着したという話も。また、料理のテキストブックが初めて登場したのもほぼ同時期だとか!

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庶民の間で用いられていた弁当は長い間お米中心のものでしたが、幕の内弁当が登場したことでお酒のつまみを中心としたレジャー用の弁当が台頭。併せて庶民の間でも花見や紅葉狩りなどを楽しむ文化が形成され、仕事用の弁当と行楽用の弁当でそれぞれ差別化されていったとされています。

弁当の原型が登場したのは平安時代。定着したのは江戸時代に入ってから!

平安時代から原型があった弁当ですが、文化として広く流通したのは江戸時代に入ってからというのが一般的。人々の食への関心とともに成長してきた文化だからこそ、今後もどんどん新しい形の弁当が登場することでしょう。

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※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています