焼き鳥の歴史とは?その由来を和道一筋が解説

おかずだけではなく、お酒のおつまみとしても高い人気を誇っている焼き鳥。手軽に食べられるイメージが強い料理ですが、実は昭和の半ばまで、焼き鳥は高級料理でした。

一体いつから気軽に楽しめる料理として普及していったのでしょうか?ここではさまざまなジャンルでグルメに関する本を出版している和道一筋が、焼き鳥の歴史を解説していきます!

焼き鳥が初めて文献に登場したのは江戸時代中期!もてなし料理として庶民に普及

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焼き鳥がいつから食べられていたのか、残念ながら明確な資料は残っていません。ですが、鳥を焼いて食べるという食事形式は有史以前から確立していたというのが定説です。

また、いつ文献に登場したかについても諸説ありますが、1643年に書かれた『料理物語』が始まりというのが一般的。しかし、この本での焼き鳥は、小鳥を開いて焼いたものや、肉の小片を焼いたものとして紹介されていることから、同書に記載されている「串焼き」の方が現在の焼き鳥に近かったとされています。

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その後、江戸時代中期に発刊された『合類日用料理抄(ごうるいにちようりょうりしょう)』という料理本では、焼き鳥は「鳥肉を串に刺し、塩をふって焼き、酒を加えた醤油につけて出す」料理として登場。当時は作法の面から、串に刺したまま提供するのではなく、串を外してから提供していたとされています。

そんな焼き鳥ですが、江戸時代は野鳥の肉を用いて作るのがほとんどでした。『當流(とうりゅう)節用料理大会』や『江戸料理集』、『伝演味玄集(でんえんみげんしゅう)』では、焼き鳥にあう鳥として、鵜やうずらなどの16種類を紹介。さらに、別の文献では「焼き鳥には雉がもっとも合う」としています。また、京都の伏見稲荷神社や東京の雑司ヶ谷神社の参道では雀の焼き鳥なども販売され、人気を博していました。

こうした雉や鵜などの野鳥は養殖していなかったこともあり、値段はけっして安価ではなかったとされています。そのため、気軽に楽しめる家庭料理ではなく、もてなし料理や酒の肴などとしての側面が強かったようです。

明治時代に手軽な焼き鳥が登場。昭和中期からは庶民の食べ物へ

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明治時代に入ると、鶏を扱う焼き鳥屋も現れます。こうした鶏肉を使った料理は、昭和初期までは高級料理とされていました。

そんな中、ほかの飲食店などで不要になった鶏ガラやスジ肉などを有効活用することで、安価に楽しめる焼き鳥屋が登場。中でも、東京・神田にあった『ガラ萬』というお店は有名だったようで、1904年に発刊された『実業の栞』という本では、このお店こそが萬世橋(よろずばし)付近に焼き鳥という文化を広めたとしています。

また、雀などの野鳥を取り扱う焼き鳥屋台も複数あった様子。鶏肉に比べると安価だったようで、力仕事をする人々を中心に人気を集めました。

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関東大震災以降は、物資の乏しさから臓物などの安価な食材で商売を始められる焼き鳥屋が注目を集め、瞬く間に焼き鳥の屋台が増えていきます。敗戦後はさらにその勢いを増し、闇市を中心として、東京都のいたるところで焼き鳥の屋台をみかけるようになりました。こうした焼き鳥屋は、戦後の復興に伴い屋台から固定の店舗に移っていくようになります。

昭和30年代後半に入ると、アメリカから食肉用ブロイラーが輸入されます。ブロイラーとは、短期間で育てられるよう品種改良された若鶏のこと。このブロイラーの登場により、焼き鳥は今のように手軽に食べられる料理として定着しました。

江戸時代に誕生した焼き鳥は元高級料理。家庭料理になったのは昭和中期以降

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江戸時代の中期頃にはすでに誕生していた焼き鳥。原材料の関係から、はじめはもてなし料理として普及していました。その後、明治時代に入ると鶏ガラなどを使用した手軽な焼き鳥屋が登場。さらに昭和の中期には、ブロイラーと呼ばれる養鶏しやすい鶏が登場したことで、気軽に楽しめる家庭料理としての地位を確立しました。

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※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています