フランスパンの原形は古代エジプトから?フランスパンの歴史と発祥を徹底解説!

カリッとした食感、そして細長い形が特徴的なフランスパンは、日本でも有名ですね。ところで現在食べられているフランスパンは一体いつ誕生したのでしょうか?

ここではパンに関する本を多く出版してきたフードマニア編集部がフランスパンの歴史と発祥を解説。フランスパンについて詳しくなりたい人におすすめ!

フランスパンの原形、発酵パンは古代エジプト生まれ

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古代エジプトでは、パンの原料である小麦を広く栽培していました。当時、小麦で作られるものといえばお粥か、平たい無発酵のパンぐらい。あるとき、焼き忘れたパン生地が、エジプトの暑い気候によって発酵したことにより、古代エジプトの人々は偶然にも、今日のパンの原形とも言える発酵パンのおいしさを知ったのです。

やがて発酵パンは古代ギリシャへ伝わります。牛乳やバターなどの材料を追加したさまざまな形状のパンが誕生し、小麦の改良も進む中で、パン作りが専門職として確立されました。

古代ギリシャのパンはローマ帝国も注目し、ギリシャからパン職人を連れてきて製造技術を広めます。小麦の研究や道具の開発、パンの専門学校の設立など、パン作りが発展していきました。

パンはキリスト教の布教とともにフランスへ広まる

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ローマ帝国の滅亡後も、パンはキリスト教の布教とともにヨーロッパ各地へと広まっていき、教会や修道院、領主などで管理されていました。フランスでは630年にパンの販売に関する法律が制定されます。8世紀にはパン屋の設置数、焼く日や形の限定など数々の規制が定められ、パン職人とパン作りに関する規定は、厳しくなりました。

11世紀中ごろに、修道院で巡礼者に対してパンが供給されるようになると、修道院に小麦粉を挽くための風車や、大きな窯が設けられました。キリスト教の信仰によってパンはまさに「神からの贈り物」とされたのです。

フランスでパン作りが庶民に普及したのは中世以降

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12世紀に入ると、パリ周辺では小麦の栽培が盛んになり、製粉所が増えるのに伴ってパン作りも広まっていきます。当時作られていたパンはローフ状(塊)のもので、特に大きなものは兵隊の会食用にも使われていました。

農村でのパン作りは小麦の種の管理から焼成まで、主婦の仕事でした。何kgもあるような大きなパンの素材を家族分運び、村の共同窯で1~2週間に一度焼きます。焼きあがったパンは硬く、スープやワインに浸して食べていました。一方、街でのパン作りは、16~17世紀にパン職人の数やパンの生産数が増えたことで、プロの男性の仕事として特化していきます。

19世紀の科学の発展とともにフランスパンは柔らかく上品な味わいになり、現在に近い形状へ

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19世紀に入ると、オーストリアのウィーンから連れてこられたパン職人たちによって、ポーリッシュ法と呼ばれる製法がフランスに広まりました。これはビールの発酵で使われる酵母を使用しており、この製法によって作られたパンは柔らかくて軽い食感と上品な味わいが特徴的で、フランスで大評判となります。

また、このころにパリの酒場でサンドウィッチを出すようになってからは、長さを競うかのように1〜2mもあるパンが登場し、現在のフランスパンに近い形状をしていました。

第二次世界大戦の終戦後、フランスパンは全世界で食べられるように

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フランスでは第二次世界大戦によって食料不足になりますが、大戦が終結して1950年代になると、パンの製造において急速な発展を遂げ、世界にフランスパンのおいしさを知らしめる道筋を作っていきました。製造技術の紹介だけでなく、製造機器の輸出も1965年ごろから本格化していきます。

こうして日本でも1965年に、東京の晴海で東京国際見本市が開かれると、フランスから小麦粉と製造機器が輸入されます。見本市で焼かれたフランスパンは爆発的な人気を博し、日本で本格的なフランスパンが根付くきっかけとなりました。
その後、大阪万博やフランス料理ブーム、海外旅行の一般化などによって、日本でも本場のフランスパンのおいしさを求める人が増えていったのです。

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※「フランスパン・世界のパン 本格製パン技術」に掲載した内容を再編集しています