水餃子の始まり

戦後の混乱期にあって、餃子の店はどのような商売をしていたのでしょうか。海外から引き揚げて来た人たちは、食べていくために駅前や神社の広場でバラック建ての屋台を作ったり、闇市の中で店を出して商売を始めるようになりました。焼き餃子を知っていた人もいましたが、多くは水餃子から始めたといいます。

国内にいた人には水餃子は売れなかった…!

残念なことに水餃子から始めても全く売れなかったのです。引き揚げて来た人たちにとっては懐かしい食べ物でも、国内にいた人にとってはその味に馴染めない人がほとんどでした。“得体の知れない食べ物”という印象で食指が伸びなかったようです。さらに「父は最初、名古屋の駅前で商売をしましたが、何といっても水餃子は腹持ちが悪かった。つるっと食べられてしまい、お腹一杯にならなかったそうです。『餃子』の字が読めず、『鮫子』と読む人もいて、料理名から教えないといけなかったと聞いています。好んで食べに来るのは引き揚げて来た人だけだったようです」と千葉『ホワイト餃子』の水谷方昭氏は語ります。

水餃子は見た目が「すいとん」に似ていた

「水餃子は見た目が『すいとん』に似ていたことから、戦中に食べた不味い代用食を思い出すと不評で売れなかったようです」(福島『満腹』椎名幸嗣氏)思ったほど、餃子が売れない。そこで焼き餃子にしてみようと考えたという。「中国でも「鍋貼」があるのを知っていたので、その要領で焼いてみたそうです。そうしたらパリパリとした歯応えがあり、香ばしい香りに加え、油で焼くので腹持ちもいいと人気を集めたようです」(前出・水谷氏)

■参考資料:「餃子の探求」(旭屋出版)

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フードマニア編集部
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