日本の餃子の始まり

日本に餃子が紹介されたのは、江戸の前期が有力。水戸の徳川光圀が師事した儒学者・朱舜水によって紹介されたといいます。このことはテレビの『水戸黄門』でお馴染みの「助さん、格さん」の格さんのモデルとなった人物、安積覺が紹介しています。安積覺は『大日本史』を編纂した「彰考館」総裁でもあった学者で、宝永元(1704)年には、朱舜水が語った話をまとめた『朱舜水氏講綺』を記しています。その中に「餃子」が登場します。
「唐音ニキヤウツウ一名包子俗ニ探官繭ト云麵粉ニ油ヲ加テ造リ中へ色々の餡ヲ入蒸タル物ナリ」と書かれています。
1799年には絵入りで餃子が登場
長崎奉行の中川忠英が寛政11(1799)年に著した『清俗記聞』には、餃子が絵入りで登場します。ここでは餃子を「カツウン」と読ませています。「ぎょうざ」とは言わなかったようです。
メジャーにはならなかった餃子
餃子は江戸期にはこれらの書物に見られる程度で、明治期に入ってもなかなかメジャーにはなりません。明治~大正期には支那料理店が営業していて作られたようですが、その頃の写真には看板などにワンタンの名は見られるものの、なぜか餃子は見当たりません。ワンタンも、餃子と同じように肉中心のあんを小麦で作った皮に包んだものですが、主に北方地域で食べられていた餃子は、当時の日本にではまだ一般には知られる存在ではなかったようです。
■参考資料:「餃子の探求」(旭屋出版)
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