鰻や蒲焼の歴史とは?その由来をフードマニア編集部が解説

その栄養価の高さから、夏バテ防止の食材として広く親しまれている鰻。ですが江戸時代以前は、脂の多さから食用としては避けられがちな魚だったのです。

一体いつから現在のように愛される食べ物になったのでしょうか?ここではさまざまなジャンルでグルメに関する本を出版しているフードマニア編集部が鰻と蒲焼の歴史を解説していきます!

縄文時代から食べられていた鰻。江戸時代以前は避けられていた!?

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夏バテ対策としても人気の鰻。その歴史はとても古く、縄文時代の貝塚からも鰻の骨が出土されています。また、奈良時代に作られたと言われている『万葉集』においても鰻は夏痩せ(夏バテ)に効くという歌が詠まれるなど、古くより鰻は健康改善食品として知られていました。その一方で、鰻独特のにおいや脂が敬遠され、一般料理として食卓に上がる機会は少なかったようです。

そんな鰻でしたが、江戸中期には平賀源内の作った「土用の丑の日」というキャッチコピーや、万葉集にて詠まれた歌をきっかけに大きな注目を集めることに。さらに同時期、江戸の開発が進み湿地が増えたことで鰻が取れる量も増加。流通量が増えたこともあり、食卓に並ぶ機会が増えていったとされています。

鰻の蒲焼が大人気料理になったのは江戸時代中期!

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遅くとも室町時代の末期には食べられていた鰻の蒲焼ですが、今のような人気になったのは江戸時代の中期とされています。それまで蒲焼はみそ味が定番でしたが、関東で醤油が作られるようになったのをきっかけに、味付けが醤油とみりんに変化。お酒やご飯に合うということであっという間に普及していき、店頭で蒲焼を焼くお店が続出しました。その後、蒸す工程も加わり、現在のような蒲焼になったのです。

また、蒲焼という名前が生まれたのも江戸時代中期ごろ。由来については諸説ありますが、鰻をブツ切りにして竹串に刺し焼く姿が蒲の穂に似ていたために蒲焼と呼ぶようになったと言われています。

鰻は縄文時代から食べられていた!江戸時代中期からは蒲焼も広く普及

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古くは万葉集によまれるほど、健康食として有名だった鰻。その風味から、江戸に入るまではあまり食卓に並ぶことのない魚でした。しかし、土用の丑の日や万葉集の歌、味付けが変化した鰻の蒲焼がきっかけとなり、評価が一変。全国各地で愛されるようになったのです。

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※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています