枝豆の歴史とは?その由来をフードマニア編集部が解説

夏になると、おかずやお酒のおつまみとして食卓に上がる枝豆。夏の風物詩と言っても差し支えない枝豆ですが、実は江戸時代に入るまで、庶民の間ではあまり流通していませんでした。

ここではさまざまなジャンルでグルメに関する本を出版しているフードマニア編集部が、枝豆の歴史や由来を解説していきます。

平安には枝豆を食べるように。南北朝時代にはお酒のおつまみにも

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枝豆が食べられだした時代について、残念ながら定説はありません。しかし、927年に書かれた『延喜式』にて「未熟な種子である枝豆を茹でて食べる」という文があることから、遅くても平安時代には食べられていたとされています。

また、室町時代に書かれた『嘉元記(かげんき)』でも、酒の席で枝豆がふるまわれていたことが記されています。こちらによると、1351年5月10日の法隆寺にて、お酒のおつまみとして枝豆やうどん、竹の子と麩の煮物、そうめんが出されたとのこと。

南北朝時代からお酒のおつまみとしてふるまわれていた枝豆でしたが、庶民の間に普及するのは江戸時代に入ってからでした。

江戸時代、枝豆が庶民に普及。枝豆専門の行商人がでるほど人気に

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江戸時代に入ると、枝豆はあっという間に世間に普及していきます。江戸時代後期の習慣を伝える『守貞護稿(もりさだまんこう)』によると、夏の夜にはゆでた枝豆を売り歩く人がいた。その人たちは「湯出菽賣(ゆでまめうり)」と呼ばれ、江戸の町では女性の販売員が多かったとしています。

ちなみに、こうした枝豆売りは江戸の町だけではなく、京都や大阪などにもいた様子。ただし、売り方自体は異なっており、江戸の町では枝付きのまま売っていたために「枝豆」、京都などでは枝を取り除いてから売っていたため、「鞘豆」と呼ばれていました。

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また、江戸時代に発行された『料理物語』というレシピ本には、枝豆の塩ゆでだけではなく、酢のものや和え物などのレシピも掲載。当時から、お酒のおつまみだけでなく、おかずとしても活躍していました。

さらに、旧暦9月13日の豆名月には枝豆を供えるという風習も。かの松尾芭蕉も「よめはつらき 茄子かるるや 豆名月(1708年)」という歌を詠んだほど、当時から枝豆は人々の生活に浸透しきっていました。

枝豆が食べられだしたのは遅くても平安時代!江戸時代には夏の風物詩に

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遅くても平安時代には食べられていた枝豆。江戸時代に入ると、年代や性別を問わず庶民の間でも大流行し、特に夏には枝豆専門の歩き売りがでるほどの人気を博しました。時代を超えても、枝豆は夏の風物詩として人々から愛されているのです。

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※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています