おでんの歴史とは?その由来をフードマニア編集部が解説

寒い時期にはもってこいのおでん。実は家庭料理として定着したのは昭和になってからというのはご存知でしたか?

ここでは和食に関する本を出版しているフードマニア編集部が、おでんの歴史を解説していきます!

おでんはもともと室町時代に誕生した田楽の派生料理

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おでんは、拍子木(ひょうしぎ)型に切られた豆腐に串を刺して焼いた「豆腐田楽」、もしくは豆腐に味噌をつけてから焼いた「みそ付き田楽豆腐」という食べ物から派生した料理です。現在でもおでんに味噌をつけて味わう地域があるのは、この田楽の名残だと考えられています。

この豆腐田楽が発祥した時期については諸説ありますが、室町時代に考案されたという説が有力。当時、豆腐田楽は広く普及していて、安土桃山時代に書かれた『利休百会記(りきゅうひゃっかいき)』という文献でも、献立としてあげられるほどでした。

そんな田楽でしたが、時代が流れるにつれ、呼び名がお田楽、お田、おでんへと変化していきます。呼び名が変わっていった経緯については、「女房言葉で「お」田楽と呼んでいたものが次第に普及していった」と考えられています。

江戸時代、おでんは焼き料理から煮込み料理に変化

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室町時代から広く愛されていたおでん。江戸時代に入ると、その提供スピードの速さや美味しさから、ファーストフードのような存在として人々の生活に根付いていきます。

江戸の町では、商品の入った籠を担いで販売を行う「振り売り」という形での商売が一般的でした。江戸時代の風習を記録した『守貞謾稿(もりさだまんこう)』では、おでんと一緒に熱燗も販売する振り売り商人を、「上燗オデン」として紹介。この頃から、おでんと一緒に焼酎を嗜む文化は形成されていたようです。

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江戸時代中期になると、おでんは屋台形式で販売されるのが主流となり、焼き料理から煮込み料理に変化していきます。当初はみそで煮込まれていたおでんでしたが、江戸時代の後期に入り醤油が流通すると、今のように出汁醤油で煮込まれたおでんが主流に。また、醤油で濃い味にする「関東風おでん」と、薄口で仕上げる「関西風おでん」はこの時期に区別されたのではないかという説もあります。

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明治時代に入ると、おでんは煮込み料理から、汁気をたっぷり含んだ現在のような形になります。おでんの具材が増えたのはこの時期だとされ、昭和の中期以降には、戦後の復興に伴いスーパーでおでんの素が売られるようになったほか、おでんに欠かせない練り物の値段も安定。
これが後押しとなり、家でも手軽に楽しめる家庭料理として定着していきます。おでんの人気はとどまることを知らず、続く1979年にはコンビニで調理済みのおでんが販売されるまでになりました。

おでんが家庭料理になったのは昭和中期!原型は遅くても室町時代に誕生

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もともとは田楽という料理として普及していたおでん。江戸時代には、煮込み料理として庶民を中心に注目を集めます。そんなおでんが家庭料理として定番になったのは昭和の中期になってから。戦後の復興に伴い、おでんの素の販売や練り物の価格が安定したことが追い風となり、家庭料理としての地位を確固たるものにしたのです。

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※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています