カレーの歴史とその由来は?カレーマニアが解説
カレーライスは日本の国民食ともいえる存在。カレーがインドからイギリスを経て日本に伝わるまで、また伝わってからどのように受け入れられてきたのでしょうか?
ここではカレーに関する本を多く出版してきたカレーマニア編集部がその歴史と由来について解説していきます。カレーに詳しくなりたい人におすすめ!
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16〜18世紀:「カレー」という名称の誕生と普及
実はカレーという言葉はインド発祥ではなく、スパイスを求めてヨーロッパを訪れた人々が使用していた言葉。もともと現地では「カリ」というおかずを示す言葉があったものの、それをヨーロッパ人がスパイスを使った料理と認識するようになりました。そして、それがヨーロッパに伝わった時に「カリ」が訛って「カレー」となっていったのです。
カレーを全世界への普及させたのが実はイギリス。1600年にイギリスがインドに「英国東インド会社」を設立し、植民地経営を始めます。その後、1772年に東インド社の社員がイギリスにカレーの原料と米を持ち帰り、初めてイギリスにカレーが紹介さました。インドのカレーをイギリスに紹介したのが、英国東インド会社のヘイスティングスという人物。当時ヘイスティングスはベンガル地方に居住しており、この地方ではご飯が主食とされていたので、「ご飯+カレー」のスタイルがイギリスに伝わりました。
江戸時代後期〜明治時代初期:日本人が初めてカレーに出会う
その後、大英帝国を通じてカレーは全世界に知られるようになります。日本人が初めてカレーに出会ったのは幕末。1871年に会津藩白虎隊一員の山川健次郎が、渡米の際の船中でカレーライスに接します。インド人が食べていた様子を見て、文化の違いに驚愕したようです。
日本人で初めてカレーを食べたのは、その後ヨーロッパへ旅立った岩倉具視率いる使節団と言われています。ライスカレーを食べたという一節が『米欧回覧実記』に記されています。
「カレー」といえばインドカレーというイメージはありますが、実は日本に初めて入ってきたカレーは「欧風カレー」でした。欧風カレーは明治初期に初めて日本に伝わりました。外国文化の憧れの的は先進国であるヨーロッパの国々の、イカラで高級な食文化。これに当時の上流階級や知識階級が夢中になりました。そうした人々がヨーロッパで食べていた、欧風にアレンジされたカレーを喜んで受け入れたのです。実はカレーの普及に貢献した人物の一人に「少年よ大志を抱け」という名言で有名なクラーク博士がいました。
1876年(明治9年)に来日し、一年あまりの期間、札幌農学校(現・北海道大学)で教鞭を取ったクラーク博士は、学校の寮の規則に「生徒は、米食を食すべからず、但し、ライスカレーはその限りに非ず」という一項を加えました。その理由は、それまで肉食が禁止された日本人はどうしても栄養が不足し、体格が虚弱であると考えて、欧米のようなパン食や肉食を奨励したというもの。
そこには日本人の主食・米への依存もありました。ご飯ばかり食べ、おかずを軽視していたことが栄養不足につながると。そこで、日本人が好きなご飯に栄養価が高いカレーを組み合わせることで、受け入れやすいと考えたのでしょう。また、カレーは肉を細切れにして煮込み、また、香辛料が肉の臭みを消す効果があるので、肉食に慣れていない日本人に抵抗感が少ないことも、カレーを受け入れる土壌となったと考えられます。
明治時代後期:高級料理であるカレーは軍隊料理に
日本の料理書で初めて「カレー」の名が登場するのは、文明開化後間もない1872年(明治5年)に出版された『西洋料理指南』で、その調理法は今のカレーとかなり違っていました。たとえば、材料が煮上がってカレー粉を入れてさらに煮込み、食塩を加えてから小麦粉を溶いて入れるとあります。これはまるで日本料理の片栗粉によるとろみづけのよう。
また材料も鶏肉と魚介類が主体ではあるものの、今の日本のカレーに欠かせないじゃが芋や人参、玉ねぎが使われず、野菜はねぎだけ。これには理由があって、じゃが芋、人参いずれも日本で普及するのは、明治の北海道開拓が本格化して以降。また、牛肉や豚肉も高価だったので、カレーはまさに高級料理でした。
カレー粉は、明治から大正の初めごろまでは、イギリスのC&Bカレーを筆頭とする輸入カレー粉が幅をきかせていました。ところが明治の終わり頃になると、国産カレーが発売され始めたのです。実は発売されたのは食品会社ではなく、薬屋。なぜ薬やだったかというと、カレー粉の原料である香辛料はいわば漢方薬です。よって漢方薬専門の「薬種店」では昔からこれらを扱ってきたのです。よって、カレー粉も販売するようになりました。
たとえば、1905年(明治38年)に日本初のカレー粉を発売した『大和屋(現・ハチ食品(株))』は大阪の薬種問屋でした。同じく大阪の薬種問屋でカレー粉を販売したのが、現在のカレー大手のハウス食品(株)の前身である『浦上商店』。
高級料理であったカレーのイメージは、日露戦争が勃発したことで一転。帝国海軍の横須賀鎮守府が兵士の食糧としてカレーライスを採用したのです。1908年には『海軍割烹術参考書』にカレーの作り方が掲載されます。カレーは一皿でおかずとご飯、汁物を兼ねていて、かつ大人数分を一度に作ることができ、また栄養バランスが取れているということで、軍隊料理としてピッタリでした。
大正時代〜昭和初期;純国産のカレー粉の普及で家庭でも味わえるように
一般生活の中では、明治時代の後半までカレーは一部の洋食店の高級料理であったのですが、日露戦争によって兵士の間で広がっていきました。軍隊でカレーの美味しさを知り、カレー作りの経験を持った地方出身者などが、除隊後、地元でカレーを広めます。カレー普及の“立役者”は軍隊だったというのが有力な説でもあります。
カレーが普及したと同時に純国産カレーの開発もありました。日本で初めての純国産カレー粉の製造が始まったのは、1923年(大正12年)、現在のエスビー食品(株)の前身『日賀志屋』が「ヒドリ印」を売り出してから。ちなみに、商品名のヒ=Sun・ドリ=Birdから「S&B」のブランド名は作られたのです。
1937年(昭和12年)の『軍隊調理法』復刻版にも、「カレー汁」が紹介されています。ここには材料として牛肉、じゃが芋、人参、玉ねぎを使用。今のカレーの基本要素はすでにおさえてあるのが興味深いですね。
しかし、戦争勃発で、一般家庭からカレーが消えました。“贅沢は敵”のスローガンの元、家庭用のカレー粉製造は中止となりましたが、軍用食品としてのカレー粉は製造が続けられます。カレーライスは当時「辛味入汁掛飯」と呼ばれていました。
昭和中期〜後期:固形即席カレールーとレトルトカレーが誕生
戦後、スパイスの輸入が開始され登場したのが「S&B赤缶カレー粉」。味覚的な満足度を高めるようなスパイスの味や風味を中心に考えた商品が登場し始めました。この時期はスパイシーな風味が本場インドのものと考えられていた頃。1949年には銀座に本格インド料理店「ナイルレストラン」が創業しています。
1954年には日本初の固形即席カレールー「S&Bヱスビーカレー」が発売。1963年には子どもをターゲットにした甘口のカレー「ハウスバーモントカレー」も発売開始。これからカレーは甘口時代に入り、蜂蜜やリンゴ、レーズンなどを加えた味が子供に人気が爆発しました。テレビCMの効果もあり、昭和30年代は固形即席カレーの消費が急増。
昭和30年代も後半になると、社会は高度経済成長期。甘口カレーではなく、再びスパイスの味が効いたカレーが復権を果たします。「特製エスビーカレー」のように辛さと風味を大切にした本格派カレーが台頭しました。
そして、昭和40年代に入るとレトルトカレーが登場します。昭和43年に大塚食品から世界初の市販レトルト食品であるボンカレーが登場。お湯で3分間温めるだけというレトルト食品は業界に衝撃を与えました。1971年(昭和46年)にはハウス食品から「ククレカレー」も登場。クックレス(調理要らず)の造語で、まろやかな味わいが人気に。
1980年代になるとファミリー、幼児向け、高級素材を使ったカレーなど、様々なタイプのカレーが各社から発売されます。1980年代は激辛ブーム時の激辛カレーや、増量タイプ、幼児向けのキャラクターカレーなど、企画ものカレーの登場が目に付くように。多くのカレー製造メーカーが高級感や嗜好性で差別化を図り、様々な商品が生まれました。
平成以降:エスニックブームでカレーはさらに多様化
1990年代初期から、タイカレーが一般的にも認知され人気に。そのほか本場インドのカレー店も街に増えていきました。エスニックブームにより、世界各国の専門料理店が軒を連ね始めます。タイカレーが一般的に食されるようになったのもこの頃。
2001年、横浜に「横濱カレーミュージアム」がオープン。その後もカレー鍋やスープカレーなど、様々なタイプのカレーが各地で生まれています。2007年に閉館しましたが、ご当地カレーや珍しいレトルトカレーの紹介など、カレー文化をさらに深掘りした功績は大きいです。
※画像はイメージです
※「カレー大全」「食の雑学達人になる本」「料理と食シリーズNp.28 カレー」に掲載した内容を再編集しています
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