昭和の餃子ブーム
昭和32年頃には「餃子」が新聞の家庭欄にも登場します。闇市から出て一般にも知られる食べ物として市民権を獲得するのです。ちなみに昭和26年創業、神戸の老舗「元祖ぎょうざ苑」では「鍋貼」と書いて「やきぎょうざ」と読ませています。1人前は50円でした。また昭和33年当時、宇都宮に開業した「みんみん」もラーメン30円に対して餃子は50円。この店では「天津餃子」といいました。餃子は大衆的な食べ物であったとはいえ、ラーメンよりも高かったのです。少し年代は離れますが、遠く離れた神戸と宇都宮で餃子の価格は1人前50円というから偶然があるとはいえ、この頃の餃子の相場は1人前50円だったようです。
昭和餃子のイメージ

にんにくがたっぷり入るイメージの餃子はスタミナ食としても広まりました。餃子の町をうたう、北九州市、浜松市、福島市は共通して大工場がある町。工場で働く人たちの活力源として人気を呼び、市内に餃子店が増えていったと想像できます。そんな餃子は右肩上がりで成長が続く当時の社会でパワフルに働く人たちに”元気の源”として歓迎され人気を集めていきました。新聞記事にも紹介されているように、餃子ブームの昭和30年代は、20代に続き数多くの人気店が開業している時期です。
餃子人気に拍車がかかったわけとは

昭和30年代に餃子が人気を集めるようになるには、きっかけもありました。「ちょうど昭和34年頃だと思います。大洋ホエールズ(現横浜DeNAベイスターズ)のホームランバッターだった桑田武選手(故人)がホームランを打った試合のインタビューで『餃子を食べていたから』とコメントしたことがありまして、そこから一気に人気に火が点きました」(前出・水谷氏)
当時、人気スポーツ界のスター選手自らが”好物でパワーの源”と語ったことは大きかったのです。瞬く間に餃子人気に火が点きました。
■参考資料:「餃子の探求」(旭屋出版)
プロフィール

-
こんにちは!こちらでは、知っておくと便利なグルメ知識やおすすめのお店を紹介していきます。
記事一覧はこちら
最新の記事
記事2025.09.08昭和の餃子ブーム
記事2025.09.06日本の餃子ブームの歩み
記事2025.09.04スチコンが引き立てるパティシエの感性 VOL.2 ジェノワーズ、クッキー、パイで探る“蒸気のちから”
記事2025.09.02中国の餃子が日本で発展した理由とは