パンの歴史とは?日本での歴史をフードマニア編集部が解説
主食として高い人気を誇るパン。実は伝来して数百年たってもなかなか普及しなかったのはご存知でしょうか?
ここではパンに関する本を出版しているフードマニア編集部が、日本におけるパンの歴史を解説していきます!
安土桃山時代に伝来したパン。江戸時代後期から本格的に製造されるように
1543年、九州・種子島に流れ着いたポルトガル人により、日本に初めてパンがもたらされます。一部では「餡なしまんぢゅう」と呼ばれていたパンでしたが、当時は小麦の生産が少なかったこともあり、あまり普及しませんでした。
パンが広く知られるようになったのは、その6年後のこと。キリスト教の宣教師、フランシスコ・ザビエルの布教活動でキリスト教が広まるのに伴って、その宗教と深い関係にあるパンも広く普及していきました。
この時期、貿易の中心であった長崎では盛んにパン作りが行われていましたが、当時は今以上にお米が主流だったこともあり、日本人の食文化としては定着しませんでした。さらに、鎖国や切支丹禁止令などが重なり、パンの普及も停滞。そのため、オランダから来た商人が主な取引相手でした。
日本で本格的にパンが作られだしたのは、その300年後の1842年4月12日。伊豆韮山(にらやま)の代官であり、「パンの祖」とも呼ばれる江川太郎左衛門氏が、軍隊の携帯食としてパンに目をつけたのがきっかけでした。
江川氏はすぐに長崎からパン職人を呼び寄せ、パンを作らせます。この時できた乾パンこそが、初めて日本人が日本人のために作り上げたパン。江川氏はこれ以降もパン作りを支援し続けており、その活躍こそが日本人がパンを受け入れる土台になったと考える人もいます。
1858年には、横浜に4軒のパン屋が開店。長崎や函館の居留地でもパンが作られるようになり、次第に食文化としてのパンが広まっていきました。ちなみに、この時横浜に登場したパン屋は、名前を変えて現在も営業中。興味のある方は一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
明治以降はさまざまな菓子パンや総菜パンが誕生
明治に入り、じわじわと広まっていったパン食文化。明治中期にあった米騒動をきっかけに、主食として一気に注目されるようになります。
ただし、当時はジャムなどではなく、砂糖や味噌などをつけて食べていた様子。1890年に発刊された日本初のグラフィック雑誌『風俗画報』でも、「パンを切って正油または味噌のつけやきをし、あるいはキナコをつけて一切れ五厘」と紹介されるほど、味噌や醤油のつけ焼きや、キナコ、砂糖をかけて食べる形式が人気でした。
また、菓子パンが注目されだしたのも明治時代になってから。1874年に登場したあんパンを皮切りに、干しぶどうパンやジャムパン、砂糖蜜を塗って作られた蜜パン、卵パンなどが誕生。続く1904年にはクリームパン、1927年にはカレーパンなども生み出され、瞬く間に注目を集めます。
第二次世界大戦後は、アメリカから小麦粉を輸入するようになったことや、それに伴い学校給食でも取り扱われるようになったことで、パン食はさらに身近な文化に。中でも1955年以降の消費量はすさまじく、戦前の最大年間消費量から6倍以上もの差をつけるなど、主食としての地位を確立していきました。
安土桃山時代に伝来したパン。明治にはバリエーションも豊富に
もともとはあまりポピュラーな存在ではなかったパン。江戸時代、軍隊の携帯食として注目されたのをきっかけに、国内でも本格的にパンの製造がスタートします。その後、明治にはさまざまな菓子パンが作られ、第二次世界戦後には主食としても定着。伝来当初は知る人ぞ知る食べ物でしたが、昭和後期には私たちの食文化と密接に結びつくまでになりました。
※画像はイメージです
※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています
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