大盤振る舞いの歴史とは?その由来をフードマニア編集部が解説
大盤振る舞いという言葉。この言葉は、一体いつ頃から使われだしたものなのでしょうか?
ここではさまざまなジャンルでグルメに関する本を出版しているフードマニア編集部が、大盤振る舞いの歴史や語源を解説していきます!
大盤振る舞いのルーツは平安時代。もともとは「大盤」ではなかった!
大勢の人たちにご馳走するという意味の大盤振る舞い。この言葉の歴史をたどると、平安時代にまでさかのぼります。当時は「大盤」ではなく垸飯(おうばん)、もしくは椀飯(わんばん)という漢字が使われていました。
また、言葉の意味も今とは大きくかけ離れていました。当時使われていた「大盤振る舞い」は、公卿(くぎょう/明治維新以前の貴族)を宮中に招く際に、お椀いっぱいのお米をふるまってもてなす儀式や公事(おおやけごと)のことを指していたのです。
鎌倉時代には、武家社会でも大盤振る舞いという言葉が使われるように。宮中でのもてなしの代わりに、お正月などのめでたい時に、家来に対して山盛りのご飯をふるまう行事へと変化していきました。
江戸時代、庶民に普及し「大盤振る舞い」の意味合いや言語が変化
大盤振る舞いという言葉が庶民に広まった時期について、定説はありません。ですが、1753年(江戸時代中期)に発刊された咄本(小話などをまとめた冊子)『軽口福徳利(かるくち ふくとっくり)』におほばんぶるまひ(大盤振る舞い)という言葉があることから、遅くても江戸時代の中頃には庶民の間で大盤振る舞いという言葉が浸透していたと考えられます。
当時、庶民の間では正月に身内を招いて宴会をすることや、大勢の人を招いて酒宴を開くことを大盤振る舞いと呼んでいました。この頃にはお椀いっぱいのご飯ではなく、さまざまなご馳走が提供されるようになっていたとされています。
また、「垸飯振る舞い」が「大盤振る舞い」へと変化したのも江戸時代という説が一般的。語源が移り変わった経緯については諸説あり、有名なものだと「ご馳走が大きいお皿に盛られていたことから、椀ではなく盤(お皿)になった」という説や、「大盤と大椀が混同され、結果として大盤が残った」という説があります。
平安時代から使われていた「大盤振る舞い」。江戸中期には庶民にも普及
古くは平安や鎌倉の時代から使われていた大盤(椀飯/わんばん)振る舞いという言葉。もともとはご馳走ではなく、大盛りのご飯をふるまう儀式でした。
時は流れ江戸時代。一般庶民に広がると、ふるまうものは大盛りのご飯からご馳走に変化。それに伴い漢字も椀飯から大盤へと変化し、現在使われている「大判振る舞い」になったのです。
※画像はイメージです
※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています
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