お好み焼きの呼び方は?もともとは違う名前だったって本当?フードマニア編集部が解説

今では当たり前のように使われているお好み焼きという呼び名。ですが、実はこの呼び名が誕生したのは昭和になってからというのはご存知でしょうか?

ここではさまざまなジャンルでグルメに関する本を出版しているフードマニア編集部が、お好み焼きのさまざまな呼び名を解説していきます。

かつて、お好み焼きはまったく別の名前で呼ばれていた

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お好み焼きという名前が登場するまで、お好み焼きは「どんどん焼き」や「一銭洋食」という名前で親しまれていました。

どんどん焼きという名前が付けられたのには諸説ありますが、その中でも「客寄せのために太鼓をどんどんと叩いていたから」という説と、「どんどん飛ぶように売れるため」という2つの説が有力。

最初はネギやとろろ昆布、粉末状にしたカツオなどがトッピングされていたどんどん焼きでしたが、昭和の初期になると、ウスターソースをかけて提供するお店が増えていきます。この当時、ソースは西洋的でおしゃれなイメージが強い調味料だったため、洋風の味が手軽に味わえる料理として、近畿地方を中心に「一銭洋食」と呼ばれるようになっていきます。

「お好み焼き」と呼びだしたのは昭和の東京!地域ならではの呼び方も健在

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お好み焼きと命名されたのは、昭和になってから。当時のお好み焼き屋は、お店が用意した鉄板と生地を用いて、お客自身が調理を行う形が一般的でした。「お客が自分の好みで作って食べる」ということから、東京を発端に「お好み焼き」と呼ばれるようになります。

現在では全国的にお好み焼きと呼ばれているこの料理ですが、地域ならではの呼び名もまだまだ健在とのこと。具体的なものとしては、名古屋の神戸焼き(別名 名古屋風お好み焼き)や、京都のベタ焼などがあげられます。

ちなみに、名古屋の神戸焼きは、生地に野菜などの具を混ぜる大阪流と、具を混ぜずに重ねて焼く広島流、両方のちょうど中間のような作り方をするところから、大阪と広島の中間地点である神戸の名前を冠しているとされています。

お好み焼きという名前が一般的になったのは昭和になってから!

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かつてはどんどん焼きや一銭洋食と呼ばれていたお好み焼き。お好み焼きの本場である大阪や広島で名付けられたと思われがちですが、実は昭和の東京にて呼ばれだしたのがきっかけでした。そのルーツをさかのぼると奈良時代に行き着くほど、長い歴史を誇るお好み焼きですが、「お好み焼き」という呼び名自体は案外新しいものなのです。

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※「「食」の雑学達人になる本」に掲載した内容を再編集しています