シェ・イノの伝統は深化する 仔羊のパイ包み焼き“マリア・カラス風”【パイ包み焼き⑩】

今から約半世紀前、日本のフランス料理の黎明期を牽引した井上旭氏が考案したのが「仔羊のパイ包み焼き”マリア・カラス風”」です。老舗グランメゾン「シェ・イノ」で、今も来店客の8割が注文するというこの名作の味を守り、進化させ続けているのが、総料理長の古賀純二シェフと3代目料理長の手島純也シェフです。3代に渡って受け継がれる伝統の深化をふれんちハンターがご紹介します。

感覚で磨き上げたソース・ペリグー

仔羊肉にトリュフ、フォアグラ、シャンピニョン・デュクセルを詰めてパイで包み、芳醇なソース・ペリグーを流したこのパイ包み焼きは、当時の日本人にはなじみの薄かった仔羊肉のおいしさを食通たちに知らしめるきっかけとなりました。

料理名は、井上氏がパリの名店「マキシム」で修業中、伝説の歌姫マリア・カラスが仔羊を好んでオーダーしていたことにちなんでいます。

井上氏の片腕として長年シェ・イノを支えてきた古賀シェフは、25歳でソーシエに抜擢されて以来、ソース・ペリグーを一手に担ってきました。

「井上シェフは『料理は舌と手の感覚で覚えろ』という人で、メモは御法度。レシピや作り方のアドバイスなどない中で、認めてもらえる味を手探りで必死に目指す日々でした」と当時を振り返ります。

今、提供しているソース・ペリグーは、コニャック、マデラ、ポルト酒を贅沢に使う配合はそのままに、つなぎのコーンスターチを加えず、すっきりとした後味に調整しています。この大胆な改良にも、井上氏は大きく頷いたといいます。

おいしさの精度を極限まで高める

現在のマリア・カラス風は、古賀シェフがソースを、2022年に3代目料理長に就任した手島シェフがパイ包み焼きを担当しています。

手島シェフがマリア・カラス風と出会ったのは20歳の時。その圧倒的なおいしさに魅了され、以来、古典料理の道をまっすぐに突き進んできました。伝統的なフランス料理の継承を目的に結成された「クラブ・エリタージュ(正式名クラブ・ドゥ・レリタージュ・キュリネール・フランセ)」の副会長を務め、クラシックフレンチの次世代の旗手と呼ばれるまでになったのも、この料理が出発点だといえます。

「憧れの料理を自分が作る日が来るとは、夢にも思いませんでした。常に緊張感を持って取り組んでいます」

手島シェフが励んでいるのは、料理の厳格化です。肉やフォアグラはグラムを測って厚みも均一化し、冷やす時間や焼成温度も厳密に計算。パイ生地も1mm厚さに統一することで、ファルスとのバランスや食感、食後の満足感までトータルで設計しています。

「すでに完成された料理ですから、レシピそのものは変えようがありません。その代わりに、この料理の魅力をどこまで突き詰められるのか。パイはサクサク、肉はジューシーに。40席すべてのお客様に同じクオリティを提供できるよう、おいしさの精度を高めるのが私の使命です」

継承で深まる洗練度

古賀シェフは語ります。

「手島君は、ずば抜けた技術力と緻密な性格を兼ね備えた人物。彼が主導するようになり、マリア・カラス風はいっそう優美に、より高次元のおいしさへと進化を遂げています」

伝統を守ることは、決して変わらないことではありません。

ソースの改良と徹底した厳格化。3代の求道者によって磨き上げられたスペシャリテは、時代の潮流に流されることなく、日々深化を続けています。


【参考図書】

パイ包み焼きの新機

伝統の味から革新の新作まで
フレンチシェフ13人の技術と工夫が光る


本書では、老舗フレンチのスペシャリテから、気鋭シェフの最新作まで、パイ包み焼きのバリエーションを紹介。冷前菜・温前菜、魚料理、肉料理、デサートと、ジャンル別に、各店のパイ包み焼きの工夫、技術を解説します。

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■A4・128ページ
■ISBN-13:9784751115268
■4,400円(税込)